
▲Haus der Wannseekonferenz▲
「揃いも揃って、みごとに博士ばっかりやなぁ。」
写真はBerlinの南西、S-Bahn(近郊列車)で40分ほど揺られた、Potsdam(ポツダム)にほど近いGroßer Wannsee(グローサー・ヴァンゼー湖)のほとりにある邸宅の様子です。S-Bahnの最寄駅から、更にバスに乗り換え、10分ぐらい揺られるとこの邸宅に到着します。周りはどの家もほとんど一戸建て。さすがBerlinの高級住宅地といわれるところです。立派な構えの家々が立ち並んでいる、とても静かな場所です。この邸宅も例に漏れず、立派な構えのものでした。さて、この邸宅の物々しい門柱にある呼び鈴を鳴らすと、門が開きます。中にはいると、邸宅までは写真のようなうっそうとした木に覆われた通りが真っ直ぐ続きます。
この邸宅、Wannseekonferenz(ヴァンゼー会議)が開かれた場所として、今は博物館になっています。
1942年1月20日にこの場所で開かれた会議には、議長であるReinhard Heydrich(ラインハルト・ハイドリッヒ)以下、ナチス政権の15名の高官が参加しました。議題は「Endlösung der Judenfrage(ユダヤ人問題の最終的解決)」です。つまりヨーロッパにいるユダヤ人の組織的な大量虐殺について、この会議で重要な決定がなされます。

▲Zimmer der Wannseekonferenz▲
▲この部屋で会議は行なわれました▲
それまでもHolocaust(ホロコースト)の計画に乗っ取り、占領下地域などでユダヤ人の組織的な殺害は行なわれていました。しかしながら、多くのユダヤ人を移送し虐殺するための関係各省庁の協力体制がうまくいっていませんでした。そこでこの会議では虐殺に関係する関係省庁の高官を集め、ユダヤ人の絶滅というホロコースト計画が最重要課題であるということを再確認し、関係各省庁が協力してそれらを行えるように連携や分担などを協議しました。
結果、ホロコースト計画はこの会議以降加速することとなり、各地の強制収容所へは組織的にユダヤ人が送り込まれ、強制労働に付くこともなく殺害されるようになったといわれています。
話は冒頭に戻ります。発言は一緒に邸宅を訪れたKさんによるものです。ひとしきり邸宅内の展示を眺めたあと、Kさんはそう私にいいました。
確かに会議に参加した15名の高官のうち、実に9名までが博士号取得者なのです。博士号といえばいうまでもなく、国により多少の際はあるものの、ほぼ全ての国で学位の最高峰として位置づけられているのです。その高度な教育を受けてきた博士号取得者が、何故に「Endlösung der Judenfrage」などという愚かな問題について真剣に話しあったのでしょうか。
「何のための博士(号)なんやろか。」
冒頭の発言に続いてそうつぶやいたKさんに、私は何も答えることが出来ませんでした。
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Haus der Wannsee-Konferenz
- Gedenk- und Bildungsstätte - |
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|---|---|
| Address | Am Grossen Wannsee 56-58 14109 Berlin (-Zehlendorf) |
| Phone | +49-30-80-50-01-0 |
| Fax | +49-30-80-50-01-27 |
| URI | http://www.ghwk.de/ |
| info@ghwk.de | |
| Museum hours | daily (except on public holidays) : 10:00 am – 6:00 pm |
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