これでさいごかな

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▲「GABRIELE MÜNTER – DIE JAHRE MIT KANDINSKY展」会場風景▲

今日は仕事が休みだったので、München(ミュンヘン)のStädtische Galerie im Lenbachhaus(ミュンヘン市立ギャラリー・レンバッハ・ハウス)で開催されているGabriele Münter(ガブリエーレ・ミュンター)による写真展、「GABRIELE MÜNTER – DIE JAHRE MIT KANDINSKY PHOTOGRAPHIEN 1902-1914」(ガブリエーレ・ミュンター ー カンディンスキーとの年月 1902年 ー 1914年の写真)に行ってきました。

この写真展には以前のエントリーに記して以来、5回ぐらいは通ったでしょうか。他の展示を見るついでにちょっと立ち寄ったのも含めると、10回ぐらい観にいったと思います。お気に入りの展覧会です。

以前のエントリーにも記しましたが、この展覧会は写真家としてのMünterを扱う最初の展覧会として行なわれただけに、芸術史的にはとても興味深い内容のものでした。カタログに掲載されたGalerieの館長であるHelmut Friedel(ヘルムート・フリーデル)らによる論文も読み応えのあるものです。

そういった芸術史的な興味ももちろんありましたが、私個人としてはMünterのKandinskyに対する思いが伝わってくる展覧会として、また別の興味がありました。

これらの展覧会を通じて展示されているMünterの撮影によるKandinskyの写真は、どれも愛情に溢れているように感じられたのは私だけでしょうか。彼女にとってKandinskyと過ごした日々は、彼女の人生において最も幸せな時期の1つだったと思います。二人は結婚はしませんでしたが、パートナーとして多くの時間を過ごしました。またお互いの芸術的な才能を認め合い、ともに試行錯誤しながらそれぞれの作風を探求していった時代です。Münterの公私ともにおける充実感が感じられる時期です。

その後、第一次世界大戦が勃発し1916年に疎開先のスウェーデンで会ったのを最後に、二人は永遠に別れることになります。二人に何があったのか分かりませんが、こうして二人が過ごした14年の歳月はここで終わりを迎えます。

Kandinskyは翌年1917年にNina Andreewsky(ニーナ・アンドレエフスキー)と結婚します。Münterの方は1931年にJohannes Eichner(ヨハネス・アイヒナー)をパートナーとして迎え入れます。

個人的な意見ですが、MünterはKandinskyと別れた後もまだKandinskyに対する思いが残っていたのではないかと思います。別れた後に制作されたMünterの作品からは、何か悲しみが伝わってくるようです。彼女にとってはKandinskyとの別れは唐突にやってきたのでしょう。だからそれを整理するのに時間がかかったように思われます。

1957年にMünterはKandinskyの作品や資料などをまとめてGalerieに寄贈しますが、それまではずっと手元に置いてありました。第二次世界大戦中、ナチスによる手からそれらを守ったのはMünterです。Münterがいたからこそ、今日我々はKandinskyのMünchen時代の作品や資料を目にすることが出来るのです。自分と離れてしまった元パートナーのものを、そこまで大事にしておく理由は何だったのでしょうか。それを考えると何となく分かる気がします。私はそういう思いを感じながらこの展覧会を見ていました。

展覧会はあと4日ほど。時間の関係で私がこの展覧会を訪れることが出来るのはこれが最後だと思います。2時間たっぷりかけて展覧会を見てきました。Münterに感謝しつつ。

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