ドイツでは10月3日は祝日となっています。1990年に東西ドイツが再統一されたことを記念してのものです。
そんな祝日に、いきなりDüsseldorf(デュッセルドルフ)の友人Sから連絡がありました。「今、Münchenに向ってるから、Oktoberfest(オクトーバー・フェスト)に一緒に行かない?」というものでした。1年ぶりの再会となるのですから、断る理由はありません。「うん。いくいく。」と快諾しました。
Oktoberfestでは1年ぶりの再会でテンションが上がってしまい、私は飲めないビールを1.5Lも飲んでしまいました。そのおかげで、やや気持ち悪くはなったのですが、気分良く帰宅することが出来ました。
さて帰宅してメールをチェックすると、日本の大学時代の恩師から「Tさんの訃報」という件名でメールが届いていました。嫌な予感がして、一気に酔いが覚めました。「訃報」とタイトルにある時点で、読むまでもなく内容は分ったも同然です。
メールを読むと、Tさんが10月3日の早朝、お亡くなりになったということでした。とてもショックです・・・
Tさんは日本の大学院時代のゼミでの後輩でした。後輩といっても私の父親よりも上の世代。72歳だったように思います。
Tさんと知り合ったのは、2003年だったでしょうか。大学院のとある講義に、当時は聴講生として参加されていました。私はその講義の単位は既に取得してあり、別段出席する必要はありませんでした。しかしながらその講義が面白く、数年間、毎ゼメスター出席していました。Tさんも聴講生で単位は必要ないのですが、2年間、4ゼメスター一緒に講義を受け続けました。そういう人は珍しいので、私たちはすぐに知り合いになりました。
その講義は欧文講読の授業だったのですが、Tさんは私とは違って、毎回熱心に参加されていたのが印象的です。少人数の授業なので、結構な回数で発表が回ってくるのですが、確実に発表をこなされていました。
Tさんは大学卒業後、某大手繊維会社に就職し、定年までバリバリのビジネスマンとして働かれていました。海外での生活、特にニューヨークでの生活が長く、その間に興味を持ったことについて勉強したいということで、大学に聴講生として入ってこられたようです。
そんなある日、Tさんから大学院受験について相談されたことがあります。私の通っていた大学院は、「研究者となる人物を育てる」ことを主としていたために、「大学院に入って勉強したいとは思うけれど、年齢を考えると躊躇してしまいます。やっていけるかどうか不安だし、他の学生に迷惑をかけてしまうかもしれないと考えています。どう思われますか?」とのことでした。
私はTさんの研究に対する取り組み方は、大学院に入っても十分やっていけるものだと思っていました。したがって「私はTさんが大学院に入って勉強することは良いことだと思います。研究に対する取り組み方も良いと思います。年齢は気にするべき所もあるかとは思いますが、私たちの研究室の先輩には100歳を超えてなお現役だった人もおられます。その先輩のことを考えると、Tさんもまだまだ若いですよ。『修士号を取って、どこかの大学で非常勤講師として教えるんだ!』というぐらいの意気込みであっても良いと思いますよ。」と答えました。「ただTさんが大学で学ばれたことや、今までのご職業で培われた経験と、これからTさんが大学院で勉強しようと思われていることは全く異なります。私のように学部からそのまま大学院に上がってきた人間が持っているような、基本的な知識はご自身で研究とは別に学ばれる必要があるとは思います。それは学部生が4年間かけて勉強することですから、修士論文を書きながらだと、それなりに厳しいこともあるかと思いますが。」とも伝えておきました。
後日、「○○さん(私のこと)、大学院を受験することに決めました。色々厳しい部分もあるかと思いますが、何とかやってみます。」とのお返事をもらいました。以前相談されたときの迷いもなく、すっきりした笑顔で知らせてくれたのが印象に残っています。
Tさんは相当準備をされたのでしょう、大学院へは優秀な成績で入学されたとお聞きしました。
Tさんが大学院に入学されたときには、私は既にドイツに来て生活を始めていました。したがって直接大学院のゼミでTさんと関わったことはありません。しかし、日常生活のたわいのないことや、研究のことについて、たまにTさんとはメールで連絡を取り合っていました。
今年の春に無事に修士論文を提出されたTさんですが、昨年の後半は修士論文の話題でよくやりとりをしていました。「私にはやはり2年という時間は短いです。したがって2年間で修士論文を提出するのは無理でしょう。3年かけてじっくりやります。」などという言葉がメールにもよく見られていたのですが、結局は2年でTさんは修士論文を提出し終えられました。「さすがTさん。」と3年かけて修士論文を書いた私は、感心させられたものでした。
その後もTさんとのやりとりは続きましたが、最後のやりとりとなったのは、博士論文のテーマ選択についての相談でした。Tさんは修士論文で取り上げたものとは、また別のものをテーマとして博士論文に取り組みたいようでした。しかしながら私たちの恩師は、修士論文で取り上げたテーマを発展させたものを博士論文で取り扱うのがよいと、Tさんに述べられたようです。それで私がそのことについてどう思うか相談されてきました。
私は現在の博士論文(人文系)に求められているものが、以前とは大きく変わってきている状況を説明し、それに基づいて恩師はTさんにそのような助言をしたのだろうということを説明しました。ただ、「3年間かそれ以上かけて博士論文を書くのですから、ご自身がご自身のための大事な時間を、そのためにかけても良いと思われるようなテーマを選ぶことも重要だと思いますよ。」とも付け加えておきました。
私からの説明を聞いて、Tさんは恩師の助言にも納得されていましたし、また私の言葉にも思うことはあったようです。「よく考えてみます。また考えがまとまったら連絡しますね。」といっていただきました。
その後、恩師がドイツに私を訪ねてこられた際に、Tさんが体調を崩して入院しているということをお聞きしていました。「Tさんは、時々入院中の病院からゼミに出てこられるのですよ。びっくりします。」などという会話を、深刻な様子ではなく語られていました。その様子から、心配はしましたが、それほど大したこともないのだろうとは思っていたのですが・・・今日、残念なお知らせを受取ることになってしまいました。
ビジネスマンとして、1つの仕事を立派に成し遂げられた後に、さらに自分を磨くために、それまで生きてこられた世界とは、全く異なる分野で修士号を取られたTさん。更に進んで、博士号取得を目指していた矢先の訃報でした。さぞかし無念だったでしょう。
今考えれば、Tさんが定年後に大学院に進んだのは、私が無責任にアドバイスを行なったのが多少なりとも関係しているのかなと思い、後悔ではないですが、何か複雑な感情があります。もし、とか、たら、とかは言っても仕方ないのですが、Tさんが大学院に進まなければ、晩年の時間を、研究に費やした時間を、ご家族と共に過ごす時間に充てることも出来たのだろうと思います。それだけに、「Tさんに大学院で勉強することをすすめて、本当にTさんのためになったのだろうか?」と思われます。
その分野で業績を残している人からのアドバイスなら、それなりに良いアドバイスであったでしょうが、私は何の業績も残していませんから、私のアドバイスなどたかがしれています。それをもっともらしく伝えてしまったのではないかと思ってしまいます。
反対に、Tさんが私に下さるアドバイスは、会社人間として、家庭を持った父親として、そして一人の人間として、どれをとっても立派な実績を残してこられたTさんだからこそ出来るものばかりでした。大学を出て社会人を経験することなく、大学に残っていた私は、世間から見ると甘い部分ばかりでした。しかし、そういった甘さを見直す機会を、Tさんのアドバイスは何度も与えてくださいました。
とある大学の男子学生のことを、「○○ボーイ」というのは良く耳にします。今はしかしながらただ単に、その大学に所属している男子学生のことを指す言葉のように思われます。ところがTさんの生き方や立ち振る舞い方は、「ああ、これが『○○ボーイ」なんだ。これなら確かに憧れるわ。」という感じのものでした。
Tさんとは数年間の短いおつきあいでしたが、本当に色々な想い出がありすぎて、語り尽くすことは出来ません。日本に帰っても、もうTさんと会えないかと思うと残念で、とにかく残念で仕方ありません。
今はただ、Tさんが安らかに眠られることを願うばかりです。
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改めて自戒させられます。
時間が経ってTさんが亡くなったということも、ずいぶんと現実として受け止められるようになってきました。まだご挨拶がすんでいないので、実感はありませんが。
Tさんがやりたかったことを、やろうと思えばやれる環境にある自分は、ずいぶん恵まれていると感じました。しかしそれをやっていない自分が恥ずかしく思いました。
日本に帰るときは、Tさんに胸を張って帰国の挨拶が出来るように今を生きるわ。