えいちせんせいのふほう

キリスト教圏の国であるドイツでは、最も重要な祝日である復活祭。その復活祭に関わる一連の休日も昨日で終わり、今日からまた日常に戻りました。

復活祭が終わると、暦の上ではもう春です。今年の冬は寒くなかったので、「春が来る。」といっても、それほどのインパクトは無いのですが、それでも、やはり春を来るのが待ちわびていた自分がおり、ワクワクしています。

今朝は快晴とまではいわないまでも、お日様が出ていました。少し前の寒かった日々も過ぎ去り、最近はまた、暖かくなってきています。日本でいうところの、三寒四温というやつでしょうか。暦の上だけではなく、気候的にも、もう春はそこまで来ているということを感じます。

そのような、春の気配が感じられる中、今朝、気持ちよく出勤準備をしているときに、そのニュースは飛び込んできました。一気に、それまでのワクワク感は吹き飛びます。

そのニュースとは、H先生がお亡くなりになられたという訃報でした。享年68歳ということです。

H先生とは大学の先生です。私が大学に入学して以来、今日まで親しくさせていただいてました。

H先生と初めて知り合ったのは、1994年に私が大学に入学したときに遡ります。H先生は音楽学専攻でしたので、音楽学の講義を開講されていました。金曜日の2限目だったように思います。私の卒業に必要な単位に含まれていたのもあり、当然受講しました。それまで小学校から高等学校までで、音楽という授業は受けたことがありました。しかし音楽学というのは初めてだったので、「どのような講義なのだろうか。」と、とても興味をもっていたのを思い出します。

その音楽学の講座、その後2年に渡り受講しました。本来は、1年間受講すれば、卒業に必要な単位は満たすのですが、思いの外、音楽学が面白くて、もう1年、余分に講義を受講したのです。今考えてみると、音楽学のおもしろさもあったと思いますが、H先生の話や話し方がその興味をさらにかき立ててくれたのだと思います。

ただH先生は、私の所属する学科の先生ではあったものの、私の専攻とは異なっていたので、大学時代の4年間は、講義でお顔を拝見したりする程度で、特に親しくお話しするようなことはありませんでした。

H先生と初めて会話したのは、大学の卒業式の日でした。謝恩会の2次会でしたね。とあるところにあるスナックを貸し切って、その2次会は行なわれました。同級生達は、2次会という事もあり、割とはじけた様子でした。しかし、私はそういった雰囲気は苦手なので、隅っこの方にポツンと席を取りました。そこに、H先生も席を取られたのです。

その席には、私の同級生のGくんも加わり、3人で2次会の間中、ずっと話していました。何を話したかまでは、もう事細かく覚えてはいませんが、とにかく色々なことを話しました。大学の先生として、勉学の話もしてくださったし、人生の先輩として、ご自身の経験などもお話ししてくださいました。その時の先生は、音楽学の講義で話されていたときと同じように、とても話し上手で、夢中で話を聞いたのを覚えています。

その後、2次会はお開きになり、帰宅することになったのですが、そのまま3人で駅まで歩いて帰りました。駅の改札で、「卒業おめでとう。社会人になっても、ぜひ頑張ってください。」と仰ってくださったのですが、「あっ、僕達、4月から大学院に進むので、またお世話になると思います。その時は、またよろしくお願いします。」と伝えました。すると、H先生は、「ああっ、そうなのっ。そうかそうか。じゃあ、またよろしくね。」と言って、ご帰宅されました。

大学院に入ると、H先生とは話す機会が増えました。特に、研究室で助手をやっていたときには。先生が午後からふらふら〜と研究室にやってこられ、ソファに腰掛けられて、昼食を食べられながら色々お話しをしてくださるのです。研究のこと、日常の話題、愚痴、ぼやき、など色々な話題でした。午後のその一時が、私はとても好きな時間でしたね。

その後、私は違う部署で助手として働くことになったのですが、お昼休みを若干遅めに取り、H先生が研究室に立ち寄る頃を見計らい、研究室に寄るようにしていたくらいです。

残念なことに、私がドイツに来る前の数年は、H先生は大学において重要なポストに就かれたので、多忙なため、研究室に来られることはあまりなくなりました。それで、ごくたまに寄られるときにお会いしたときは、以前と変わらず、その話を夢中でお聞きしたものでした。

大学で助手をしていると、大学の公式行事を手伝ったりします。入学試験や、定期試験、卒業式や入学式などです。ある年、私は、たまたま入学式で、式場係としてお手伝いをさせていただいたことがあります。その時は、「ああ、自分も、何年か前には、こうやって初々しく緊張して入学式に臨んだな。」などと式の間、考えていました。

ただ式は、特に何かがあるわけでもなく、偉い人のお話や、校歌の演奏など、ごくごく普通のものでした。偉い人のお話として、学者さんが壇上に立たれたのですが、グローバリズムがどうのこうの、世界の現状がどうのこうのという話をされ、それとからめて、入学してきたばかりの若い学生に期待する今後の学生生活のあり方を述べていたように思います。ただ、高校を卒業してきたばかりの新入学生には、難しくもあり、退屈そうな感じでしたね。

その偉い学者さんの話が終わった後に、もっと偉い人としてそのH先生が壇上に登られました。難しい話を聞かされ続けた、新入学生にはやや疲れのあとが見えます。「これから、また難しい話が続くのか。」という雰囲気でした。

そしてH先生の壇上での最初の一言が始まります。

H先生「えーっと、私、最近、入れ歯を新しくしました。」

何の前振りもない唐突な話に、みんな驚いて、退屈そうにしていた人たちの視線が、一斉に壇上のH先生のところに向けられます。

H先生「新しい入れ歯というのは、慣れるまで時間がかかるんです。私もまだ慣れておらず、食事が取りにくいのですよ。先日、とある先生と、学生2人の合計4人で、一緒に昼食を取りに学内のレストランに向いました。私は、入れ歯を新しくしたばかりだったので、食事を取るのにとても苦労しましてね。ゆっくり、ゆっくり、とても時間をかけて食べました。でも、自分だけで食事を取るのならまだしも、その時は人と一緒でしたからね。出来る限り、迷惑をかけないように、早く食べるようには試みました。しかしながら、やっぱりどうしても食べるのが遅くなってしまうのですね。気がついたら、もうひとりの先生は、既に食べ終わっており、『もう出ようか。』ぐらいの勢いになっていました。でも、ふと学生達の方を見ると、ほとんど食べ終わっていない。そうとう遅く食べていたと思われる私と、同量ぐらいの料理が、まだ皿の上に残っているのです。学生達は、決してお腹が空いていなかったというわけではないと思います。よくよく見てみると、学生達は、私が食べるのが遅いことに気がついて、私の食べるペースにあわせて食事をしてくれていたのです。べつに学生達がそう言ったわけでもないのですが、明らかにあのペースは、私にあわせてのものだったと思います。おかげで、悪いなとも思いつつ、私はあまり焦らず、ゆっくりしたペースで食事を済ますことが出来ました。ここで、新入生のご父兄の方に伝えておきたいのは、こういったように、子供達はもう大人なのですから、或程度ほうっておいても、それなりの振る舞いが出来るようになってきます。大学の先生よりも、的確な行動ができることもしばしばです。なので、あまり口やかましく言わないであげて欲しい。また、新入学生諸君も、こうやってあなた達がこれから過ごす大学では、回りにもう立派な大人として行動できる諸先輩方が多くいるので、そういう人たちの行動を盗んで、成長していって欲しい。」

もう何年の昔の話なので、内容が曖昧ですが、だいたいこのような内容を、H先生は話されたように記憶しています。

H先生が話されているとき、新入学生も、そのご父兄の方々も、それまでの話とは違って、時には笑いも起こりつつ、最後まで真剣に聞かれていたように思います。

偉い学者さんは、それより先に行なわれていた、卒業式でも話をされていました。その時も私は式場内におり、話を聞いていたのですが、実は、入学式で話をされていたのと、ほとんど同じような話をされていました。したがって、私は2度、その学者さんの話を聞いたのですが、もう今ではすっかり、その時何を話されたか覚えていません。

しかしながら、H先生が入学式でお話しされたことは、今でもまだ上記の程度には覚えています。たぶん、その時に入学式に参加されていた方も、同様なのではないでしょうか。

こういったように、H先生の話は、後々、記憶に残ることが多かったです。ふとした、ひとことで、今でも覚えているものはたくさんあります。

H先生には、毎年年賀状を送っています。今年も送らせてもらったのですが、残念ながら、今年はお返事がいただけませんでした。いつも返事はいただいていたので、きっと忙しかったのだなと思っていました。

先日日本に一時帰国したとき、機会があればH先生とお会いしたいなと思っていました。K先生にお会いしたとき、「H先生はお元気ですかね。」とお聞きしたところ、「最近、体調を壊されているとお聞きしてるのだけれどね。」とのお返事をいただきました。その返事をされているときのK先生の雰囲気から、あまり体調は良くないのかなと思い、それ以上質問を続けることは出来ませんでした。

それから、1ヵ月ぐらいが過ぎた、今日、H先生が、天に召されたという訃報が届いたのです。

H先生には、日本に帰国したら、ドイツでのお話しなどを聞いてもらいたかったし、近況などもお伺いしたいと思っていました。そして、奥さんのこともぜひ紹介したいと思っていました。それも、全て、叶わぬ夢となってしまいました。こんなことなら、日本に一時帰国中、もっと積極的にコンタクトを取ってみれば良かったかなと思います。でも、きっと大変だったはずでしょうから、会わない方が良かったのかもしれませんね。

さっき、葬儀に出席できない非礼をわびるために、電報を打とうとパソコンに向っていました。しかし、1時間経っても、2時間経っても電報を打つことが出来ません。想い出が多すぎて、お礼を沢山言いたくて、何をどう、その電報の短い文章に詰め込めばよいのか、私には分りません。こういうとき、ドイツにいるのが、もうどうしようもなく悔しくて、腹立たしいです。

ということで、なんだかブログにダラダラと記してしまいました。乱雑な文章ですみません。

神の御許に召されたH先生が、愛や平和や静けさに包まれていることを祈ります。今までどうも、ありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。

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