ひとつすっきりとしました

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▲産経新聞▲
▲zh.wikipedia.org▲より

新聞を読むことは、割と好きです。日本にいるときは、図書館に行って、各紙を読み比べるのが日課のようになっていました。

現在は勿論のこと、当時もインターネットで新聞記事を読もうと思えば、読むことは出来ました。しかしながら、なぜかしら新聞は、紙に印刷されたものを好んで読んでいました。そのほうが、なにか落ち着くのです。

ドイツでも、紙に印刷されたいくつかの日本の新聞は購入できますが、日本に比べると購読料が桁違いに高くなるので、これまで購入したことはありません。ということで、日本のニュースは、専らインターネットで得ています。

その際に利用するのは、GoogleGoogleニュースです。図書館で私が行なっていたような読み比べに近いことが、このGoogleニュースでは可能だからです。同じニュースに対して、様々な媒体の記事へとリンクされています。

様々なニュースを読み比べていくうちに、いくつかお気に入りのメディアが出てくるのですが、そのうちのひとつは、産経新聞でしょうか。読売新聞朝日新聞毎日新聞といった大手新聞に比べて、規模も小さく、後発組ですが、その分、インターネットを使った記事の配信には、熱心に取り組んでいるように思います。産経新聞の思想がどうのこうのという話題は置いといて、ただ日本のニュース記事をインターネットで見る際に、配信される記事の量から、産経新聞は私のお気に入りのひとつになっています。

さて、今日私が熱心に読んだ日本のニュースは、1999年4月14日に山口県光市で起こった、いわゆる「光市母子殺害事件」に関するものでした。この事件では、2006年6月20日に最高裁判所が、第2審の広島高等裁判所の下した無期懲役の判決を破棄し、審理を差し戻していました。そして日本時間の今日、2008年4月22日、その差し戻し控訴審判決が広島高等裁判所で下され、被告人に死刑が言い渡されたのです。

この事件について色々思うことはありますが、そのひとつとして、被害者遺族である本村洋さんに私は注目していました。事件後、彼はメディアに登場し、この事件に対する自分の思いを述べるほか、日本では犯罪被害者に対してあまりにも権利が守られていないことを訴えていました。そのような彼は、全国犯罪被害者の会の設立、犯罪被害者等基本法の成立に尽力し、犯罪被害者の権利確立に努めました。

この事件に関する裁判がある毎に、本村さんは記者会見を開き、マスコミに登場します。そこでの彼の受け答えは、実に冷静で堂々としており、論もしっかりとしたものです。

しかし、いつも冷静な彼が、ひどく感情的になっている場面を見たことが一度あります。それは2000年3月22日に、山口地方裁判所で、この事件に対する第1審の判決が出た後の記者会見でした。正確な発言の内容は忘れましたが、要約すれば「もし被告人が死刑にならないのであれば、今すぐ被告人を社会に出して欲しい。私が、自らの手で彼を殺します。」と発言します。私も本村さんの全ての会見を、余すところ無く見たわけではありません。したがって、この発言よりも、もっと感情的な発言があったかもしれません。しかし、私が知る限りでは、この発言は、彼のこの事件に関する発言の中で、最も感情的なものであったと思います。

いつも、冷静な彼が、これだけ感情的に、それも「人を殺す。」と堂々とマスコミの前で宣言してしまったことにかなり衝撃を感じます。ただ、それだけに、彼の被告人への強い怒りが感じられました。また自分が仮に本村さんと同じ立場に立たされたら、同じような発言をしたかもしれないと、本村さんの発言に対して、ある程度の理解は出来ました。しかし、そこに、なにか引っかかるものがありました。

この本村さんが、被告人に求めていたのは、日本における最高刑である死刑です。そして今日、差し戻し控訴審判決で、被告人には、本村さんが望んだ死刑が言い渡されました。

判決後には、いつものように、本村さんによる記者会見が行なわれたようです。こちらでは、記者会見の模様は見ることが出来ないので、インターネットで新聞記事を読みました。下記に引用したのは、記者会見で「判決を受取った際の気持ちは。」と質問された事に対する、本村さんの発言です。

決して喜ばしいことではない。厳粛な気持ちでこの判決を受け止めています。遺族としては満たされたのですが、社会にとってみれば事件をめぐり私の妻と娘、そして被告の3人の命が奪われることになるわけで、これは明らかに社会にとって不利益なことです。

【死刑判決で本村さん(1)】「彼も覚悟していたんじゃないかと…」
(2/2ページ) – MSN産経ニュース

死刑存廃問題に関心があり、色々考えたことがあります。そのひとつに、「死刑も殺人では。」という考えがありました。現在のところ、日本で死刑は合法ではあるのですが、「人の命が寿命より前に、人によって奪われてしまうことは、殺人と何ら変わらない。」とも考えたりもするのです。

本村さんのご家族は、不幸にも殺されてしまいました。その気持ち、同じ立場に立ったことのない私には、今のところ到底理解できません。ただ、被害者の無念を思い、「敵討を」と思う気持ちは分らないではありません。しかしながら、現在の日本では敵討は禁止されています。そのかわり、司法の判断による、死刑という、いわば敵討ちが現在の日本にはあるので、本村さんはそれを求めているのでしょう。

ただ、感情としては理解できるのですが、やはり、本村さんが死刑を強く求めることに、何となく違和感を感じていました。

しかし、ニュースで読んだ本村さんの発言を聞いて、私は少しホッとしました。彼が被告人に死刑を求め、それが受入れられた場合、この事件で既に亡くなっている被害者の2人に加え、更に1人の命が奪われるということを、彼は十分に理解しています。そして、そのことに対しては、喜ばしいことだと決して思っていません。被告人に死刑判決が下されたことについて、個人的な感情としては満たされていながらも、客観的な視点では、彼もまた葛藤していたという様子が伝わってきます。その葛藤の部分に、彼の人間性が見えるような気がします。闇雲に死刑だけを求めていたわけではないと。

先進国と呼ばれる国々の中で、死刑制度が存続している国は、日本を含めそう多くはありません。私が住むドイツを始め、欧州のほとんどの国ではもう死刑制度は廃止されています。語学学校などでは、死刑制度について議論をすることがありますが、そういった流れに沿うように、大多数の意見は死刑制度に対して反対です。そのようななかで、死刑制度を持っている国から来た私の発言に対して、他の人たちはとても興味を持って聞いてくれるので、私も今現在の考えを述べることを行ないますが、私自身はまだ明確な答えを持てていません。まだまだ勉強不足です。

本村さんのように、家族が事件の被害者になってしまい、被告人に対して強い怒りを感じている人でさえ、やはり死刑という判決の後にくる、1人の命が奪われてしまうという事実に対しては思うことがあるようです。私が本村さんと同じ立場に立つことがあるならば、やはり私も死刑を、人の死を望むのでしょうか。難しい問題です。

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