
▲忌野清志郎「デビュー39周年直筆画」▲
▲www.kiyoshiro.co.jpより▲
訃報
かねてより病気療養中であった忌野清志郎ですが、
癌性リンパ管症のため5月2日 午前0時51分享年58歳にて逝去いたしました。忌野清志郎公式ウェブサイト「地味変」より
残念な、とても残念なニュースを目にしてしまいました。上に引用したよう、音楽家、忌野清志郎(本名:栗原清志)さんが、闘病の末、お亡くなりになったようです。
RCサクセションの中心メンバーとしてデビューし、その後も、ソロなどで活躍された清志郎さんの名前は、私の年代(1970年代生まれ)の、そこそこ音楽を聴く人間なら、1度ならずとも、耳にされたことがあるのではないでしょうか。
私が、清志郎さんの存在を知ったのは、TVの音楽番組だったと思います。坂本龍一さんと一緒に、派手なメイクで登場して歌い(「い・け・な・いルージュマジック」)、そして最後に、ふたりがキスをするというものでした。
小学校低学年であり、その当時は、清志郎さんの名前も、RCサクセションの名前も、坂本龍一さんの名前も知らなかった私ですが、画面から受けたインパクトは、それはもう強烈なものです。男性がまだ化粧をする時代ではなかったですし、まして、TVで男性同士がキスする場面など、それまで見たことがなかっただけに、強烈に印象に残ったのでした。
ただ、その当時は、先ほども述べたように、小学校低学年です。したがって、積極的に興味を持って、清志郎さんや坂本龍一さん、そして、RCサクセションを聴くということは、まだありませんでした。
その後、中学校に上がった頃からでしょうか、それぞれの名前を認識するようになり、同時に、その音楽を聴くようになったのは。特に、反骨神溢れる、清志郎さんの音楽、特に詞に共感します。中学生でしたから、その気概にあこがれたのでしょう。
その後も、大好き、とまではいかないものの(すみません・・・)、清志郎さんや、RCサクセションの曲は、割と聴いていました。
また、最近は、音楽家としての清志郎さんだけでなく、自転車好きの清志郎さんや、父親としての清志郎さんといった面にも、注目していました。音楽家としての清志郎さんも、もちろん良いのですが、素(と思われる)の清志郎さんも、魅力たっぷりな人だなと、感じることも多かったです。
特に、2005年5月15日付けで、日刊スポーツの紙面を飾った、清志郎さんのインタビュー、とても印象に残っています。「インタビュー<日曜日のヒーロー> 第464回 忌野清志郎」と名付けられたものでした。
それは、デビュー35周年を迎えた、清志郎さんに対して行われたものです。インタビューでは、もちろん、音楽についての質問がなされています。しかし、ご家族についての質問にも答えられていました。そして、私は、その返答の内容が、とても印象深かったのです。
インタビュアーが、清志郎さんに、子どもが誕生すると分かったときの様子を尋ねられ、次のように答えられています。
17年前、カミさんが妊娠した時。本当に焦った焦った。子持ちのロックンロールがイメージできなかった。オヤジになった忌野清志郎が想像できなくて。絶対これはやばいなと。
と、子供が生まれると分かったときの清志郎さんは、このようなことをお思いになっていたらしいです。
そして、焦った頭で考えた結論は次のようなもの。
生まれたことをひた隠しにする(笑い)。それで生まれるまでに思い切りたくさん曲を作る。それを年に1、2枚小出しにして、食いつなぐ(笑い)。本気で思ってました。
実際、1ヶ月で40曲ぐらい、お作りになったようです。ご本人の言葉を、そのまま受け取るなら、20年分ぐらい、ストックを作られたわけですね。
で、実際どうであったかということも、述べられています。
こんなにかわいいものが世の中にあったのかって(笑い)。隠すどころか、かわいいんだと自慢したくてしょうがなかった。仕事場にも連れていきました。子連れ狼(おおかみ)みたいにベビーカーをガラガラ押して。
「なんと、単純な人なんだ。」と、驚き、笑い、そして、また好きになりました。
享年58歳と、まだお若かっただけに、ご本人も、ご家族も、周りの人たちも、とても無念であると思います。私も、その歌が、また、自転車に関する話が聞けなくなったことが、とても残念です。
3年近くの闘病生活、想像を絶する、困難があったことでしょう。とても、疲れたことでしょうから、今は、ゆっくりと、安らかに眠って欲しいです。
今まで、ありがとうございました。
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