たかばたけかしょうたいしょうろまんかんめーるまがじんだいよんじゅうろっかい


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▲高畠華宵大正ロマン館▲
▲Google マップより▲

愛媛県東温市にある、高畠華宵大正ロマン館から、月2回発行されるメール・マガジンの、最新号が届いています(2009年6月5日配信)。今回届いた、今月1回目の配信となったメール・マガジンの最新号は、第46号です。

今回のメール・マガジンも、前回に引き続き、沖縄県立博物館・美術館で開催中の「豊潤の美を求めて—金城安太郎と高畠華宵」展(2009年5月28日〜2009年6月26日)の案内や、高畠華宵大正ロマン館が発行している定期刊行物、『大正ロマン』の案内が、その内容の中心となっています。学芸員さんのコラム、「じゅげむじゅげむ」では、沖縄県まで出かけられ、「豊潤の美を求めて—金城安太郎と高畠華宵」展を観覧された様子が記されていました。

さて、そのような、高畠華宵大正ロマン館メール・マガジン第46号で、私の関心をひいたトピックと言えば、宇和島市にある、宇和島市立歴史資料館にて行われる予定の、「第13回華宵の部屋 華宵のリゾート・タイム」展(2009年6月19日〜2009年9月6日)についての案内でしょうか。

「余暇」という考えが広まったのは大正時代。そんな時代を反映して華宵も海や山で時間を過ごす少女たちを雑誌の表紙や口絵で描いています。華宵美人たちが優雅にリゾートを過ごす姿を展示するとともに、大正から昭和にかけての観光事情もご紹介いたします。

大正というのは、明治の後の時代で、昭和の前の時代。正確に言うならば、大正天皇が在位されていた、1912年7月30日〜1926年12月25日までを指します。

明治と言えば、「明治維新」や「文明開化」といった言葉が直ぐに思い浮かぶよう、それまでの封建社会から脱し、欧州を模して近代化が進められ、制度や習慣が、それまでとは大きく変化した時代でした。また、昭和はと言うと、「第二次世界大戦とその敗戦」「戦後復興」「高度経済成長」などといった言葉が思い浮かぶよう、世界でも屈指の先進国と認識される、現在の日本の基礎が、紆余曲折を経て、築かれた時代でした。

ところが、大正時代となるとどうでしょう。この時代を表す言葉として、どのような言葉が、皆さんの頭の中に浮かぶでしょうか。私は知識に乏しいので、「大正天皇」「第一次世界大戦」「護憲運動」「米騒動」「関東大震災」ぐらいのものです。

45年続いた明治時代や、64年続いた昭和時代という、比較的長期間続いた時代(元号ベースで/昭和は元号ベースなら、世界一長く続いた元号)に挟まれ、15年という短期間しか続かなかった大正は、何となく、「影が薄い」という印象があります。

もっとも、先ほど例に挙げた、時代を映す言葉は、どちらかと言えば、政治的な意味合いを強く含むものが多いです。したがって、政治から視線を外し、庶民の生活へと視線を移すと、おもしろいものが、色々と生まれてきたのが、大正時代でした。

大正時代に生まれたものを、代表的なものだけ、ここに挙げてみても、「日活設立(1912年)」「宝塚少女歌劇団(後の宝塚歌劇団)初演(1914年)」、「東京駅開業(1914年)」「天王寺動物園開園(1915年)」「帝国ホテル・ライト館落成(1923年)」「阪神電車甲子園大運動場(後の阪神甲子園球場)完成(1924年)」「宝塚ホテル開業(1926年)」、「大日本蹴球協会(後の日本サッカー協会)創立(1921年)」「東京六大学野球連盟発足(1925年)」「大日本相撲協会(後の日本相撲協会)設立(1925年)」「日本放送協会(NHK)設立(1926年)」、「森永ミルクキャラメル発売(1913年)」「カルピス発売(1919年)」、「婦人公論創刊(1916年)」「文藝春秋創刊(1923年)」など、枚挙に遑がないほど、現代の私たちの生活にも、なじみ深いものが、この時代に生まれています(国立国会図書館第143回常設展示 日本の「美しき時代」-大正時代に生まれたもの-」(2006年5月18日〜2006年7月18日/於・国立国会図書館東京本館 本館2階 第一閲覧室前)などを参照)。

明治時代に流入した、近代文化によって、都市の基盤が整備されつつあった大正時代は、民主主義の台頭(大正デモクラシー)もあって、思想的にも自由かつ開放的な雰囲気が溢れ、いわゆる「大衆文化」が発達しました。このことは、大正時代の特徴の1つと言えるでしょう。

さて、上に記したように、現在の私たちと関わりの深い、様々なものが生み出された大正時代でしたが、「『余暇』という考えが広まったのは大正時代。」、ということで、「余暇」もこの時代に生み出されたようです。

私は大正時代に興味を持っており、かつて、大正時代に発展した概念、あるいは産業である「観光」をテーマに、貴賓会(Welcome Society)やジャパン・ツーリスト・ビューロー(Japan Tourist Bureau/JTB)に関して調べたことがあり、その際、余暇ということについても、当然ながら、観光とは関係があるので、調べたことがあります。結局、その時は、余暇という概念が、いつ頃、日本で生まれた(広まった)かまでは、はっきりと分かりませんでしたが、メール・マガジンによると、大正時代の話らしいです。私はてっきり、もう少し前の時代の話かと思っていましたね。

私が、この時代の余暇について調べたとき、分かったことは、それまでの余暇と、大正時代に入ってからの余暇では、質が違うということでした。

大正時代、近代化が進んだことにより、主要な産業が、農業から工業へと移ります。そして、それにともない、人々の生活パターンが変わりました。農業は、自然相手の仕事ですから、天候や発育状況など、様々な要因で、1日の労働時間が変化します。また農業には、農繁期や農閑期があることから、1年を通しても、労働時間がバラバラであったのは、想像しやすいでしょう。しかし、工場や会社で働くようになると、天候に労働時間が左右されることはなく、1年を通じて、毎日、決まった時間、働くという習慣が生まれてきます。従って、労働時間外の時間、つまり余暇の時間も、定期的に取れるようになってきます。つまり、余暇の時間が、あらかじめ予測可能になったのが、大正という時代でした。

と、このように、私が調べた範囲から、「余暇」というものの質に、変化があった時代が、大正時代であるとは、認識していたのですが、余暇という概念が、この大正時代に広がったというのは、勉強不足で、知りませんでしたね。新しい発見です。

まあ、でも考えてみれば、それまで、自然の都合に合わせていた余暇の時間が、あらかじめ予測可能になったとすれば、その時間を、どのように、何をして過ごすかというのを考えるようになるでしょうから、余暇という概念が、大正時代に一般へと広がっていくということは、想像の及ぶ範囲ですね。

さて、「第13回華宵の部屋 華宵のリゾート・タイム」展では、その余暇に関係した、華宵の作品が見られたり、また「大正から昭和にかけての観光事情もご紹介いたします。」とのことなので、かつて、そういったことに興味を持ったことのある私には、2度も3度もおいしい展覧会に成るのではと期待しています。余暇と華宵、あるいは、観光と華宵、どういった繋がりを見せるのでしょうか。

残念なのは、毎度のことながら、私が愛媛県在住でもなく、日本在住でもなく、ドイツ在住であるということ。この期間、日本に滞在する予定もないことから、展覧会を見学することは出来ません。いつもと同じように、メール・マガジンや、ウェブ・サイトでの続報を、首を長くして、待つしかありませんね。

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