たかばたけかしょうたいしょうろまんかんめーるまがじんだいよんじゅうきゅうかい

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▲『Prints21』、プリンツ21▲
▲2008年秋号、通巻88号、2008年6月26日発売▲
▲ASIN : B001B0W1S2▲
▲274mm x 208mm x 8mm、1500円▲
▲www.prints21.co.jpより▲

愛媛県東温市にある、高畠華宵大正ロマン館から、月2回発行されるメール・マガジンの、最新号が届いています。今回届いた、メール・マガジンの最新号は、第49号(2009年7月17日配信)です。

その、届いたメール・マガジンによると、明日、2009年7月31日は、高畠華宵没後43年目にあたるとのこと。高畠華宵は、1966年の7月31日に亡くなられたそうです。

その高畠華宵が、没する2ヶ月前の様子について記された、高畠華宵大正ロマン館の館長、高畠澄江氏によるエッセイが、「Prints21」(プリンツ21)の2008年秋号より、転載されていました。

私はこの「Prints21」2008年秋号を購入していたので、そのエッセイを読んだことがあります。そこには、1966年5月、高畠澄江氏は、夫と1歳になる長男とともに、最晩年の高畠華宵を見舞いに行ったことが記されていました。

そのエッセイの中で、高畠澄江氏は、そのとき初めて会った高畠華宵の印象を、「大正モダニズムの旗手といわれた『高畠華宵』からは余りに遠く」、みすぼらしい、「小さな顔の老人」に過ぎないように思われ、多少のショックを受けたと語っておられます。また、当然ながら、高畠澄江氏は、その時に、高畠華宵が一声かけてくれるものだとの期待をしていたのですが、ついにそれは叶うことなく、そして、それが高畠澄江氏と高畠華宵の、最初で最後の出会いとなった、という内容が記されていました。

私は、高畠家の家系がどのようになっているのか、全く理解していないので、高畠華宵と高畠澄江氏がどのような関係にあるのか、よく分からない(想像するに、高畠華宵の兄の息子の妻)ながらも、「不思議な関係、不思議な出会い方だな。」との印象を、このエッセイを読んで持ったことを覚えています。高畠華宵と高畠澄江氏は、当然のごとく面識があったものだと思っていたのに、実はそうでなかったという事実を知ったことと、面識がなかったにしても、「普通なら、見舞ってくれた人の妻へ、一言かけ、挨拶ぐらいはするのが礼儀だろう。」と思ったからです。

結局、高畠澄江氏は、その存在を、完全に無視されたような不思議な出会い(高畠澄江氏曰く「負のメッセージ」)が頭の片隅に残っており、高畠華宵の実家の土蔵を整理したのをきっかけに、準備期間を経て、高畠華宵大正ロマン館を開館するに至ったと述べられています。

高畠華宵のこの態度、未だに私には良く理解できませんが、高畠澄江氏が言うように、それは高畠華宵から高畠澄江氏への、「負のメッセージ」だったのでしょうか。

「あの人は何かを言い残して死んでいったのではないか」と思い、その「何か」を知るために、「散らばったまま時間切れとなってしまった華宵の生涯」を紡ぎ、「世に問う機会を持ちたい」と思いで出来上がったのが、高畠華宵大正ロマン館らしいのです。その開館から、19年ほど経た現在、「何か」が何であったのか、少しは分かったのでしょうかね。私の中にある「高畠華宵」のイメージとも、その最晩年の様子、特に高畠澄江氏に対してとった態度が、大きく異なるだけに、私もその「何か」を知りたいと、そのエッセイを読んで以来、そう思っているのです。

さて、今回のメール・マガジンには、ひとつ残念なお知らせが。それは、メール・マガジンの最後のコーナーとして、すっかりおなじみだった、高畠華宵大正ロマン館学芸員の小嶋洋子氏によるコラム、「じゅげむじゅげむ」が今回で終わりになるとの案内です。

長い間、読者を楽しませてくれた、この「じゅげむじゅげむ」のコーナーが、無くなるのは寂しいのですが、高畠華宵大正ロマン館メール・マガジンが、次回で50号の記念の号になるので、恐らく、新しいコーナーが始まるのではないかと思います。2週間に1度、読者を楽しませるコラムを書くのも、やりがいのあることとはいえ、なかなか難しかったのではないでしょうか。どうもありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

さて、次回の高畠華宵大正ロマン館メール・マガジンは、先ほども述べたように、区切りとなる、記念の50回目を迎えます。内容がこれまでと大幅に変わる可能性もあるだけに、今から楽しみです。次回、第50号の配信は、8月7日が予定されています。


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▲高畠華宵大正ロマン館▲
▲Google マップより▲

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