
▲Synagoge in der Bergstraße in Hannover▲
▲vermutlich zwischen 1.30 und 2.30 Uhr am 10. November 1938▲
▲© Wilhelm Hauschild/Bildarchiv▲
▲www.faz.netより▲
現在のBundesrepublik Deutschland(ドイツ連邦共和国)が、Deutsche Demokratische Republik(DDR/ドイツ民主共和国/旧東ドイツ)と、Bundesrepublik Deutschland(ドイツ連邦共和国/旧西ドイツ)という、東西2つの国に分断されていた時代、それを最も象徴する存在として知られていたのが、Berlin(ベルリン)のなかでも、西側諸国が統治した地域であるBerlin (West)(旧西ベルリン)を、ぐるりと取り囲むように存在した壁、Berliner Mauer(ベルリンの壁)であることに、異論はないでしょう。Berliner Mauerという言葉は、決して崩れることのない、決して超えられることのないものの喩えとしても、日常で利用されていました。
その、永遠に続く、強固な壁であるかのように思われていた、Berliner Mauerですが、1989年11月9日の夕刻に、DDRが行った発表をきっかけにして、翌日、1989年11月10日へと日付が変わる頃、そこにある検問所が開かれ、実質的に、壁としての意味を持たなくなります。いわゆる、ベルリンの壁の崩壊です。
これをきっかけに、東西に分断されていたドイツ間に、事実上国境はなくなり、翌年の再統一へむけて、動きが加速していきます。
東西両ドイツの再統一は、「ドイツ国民の悲願であった。」とのことから、そのきっかけとなった、ベルリンの壁崩壊は、ドイツ国民にとって、また、歴史的にも重要な日です。ということで、そのベルリンの壁崩壊から、20年が経過した今日、当地Berlinでは、様々な記念の催しが行われています。
確かに、11月9日という日は、このように、ドイツにとって、忘れられない日であるでしょう。しかし、ベルリンの壁崩壊を記念する、喜ばしい日であるかと言えば、それだけではありません。
ベルリンの壁が崩壊する、61年前の同日同時刻頃、その後のドイツの行く末を暗示させるような、悲惨な出来事が起こります。1938年11月9日深夜〜1938年11月10日未明にかけて、ドイツ各地でおこった、反ユダヤ主義の暴動、「Novemberpogrome 1938(1938年11月の虐殺)」と呼ばれるこの事件は、日本では「水晶の夜」などといった言葉で語られていますが、このとき、ユダヤ人(ドイツ国籍か無国籍のもの)の住居、企業、病院、学校、シナゴーグなどが暴動により、徹底的に破壊されます。
きっかけは、1938年11月7日に、フランスにあるドイツ大使館で、外交官のErnst vom Rath(エルンスト・フォム・ラート)が、ユダヤ系ポーランド人であるHerschel Grynszpan(ヘルシェル・グリュンシュパン)に、銃殺されたことでした。Grynszpanは、自身と同じユダヤ系ポーランド人に対する、当時のドイツ政府の対応を強く非難しており、そのユダヤ人の惨状を、世界に訴えることを目的として、事件を企てます。
しかしながら、結果は逆に、「ユダヤ人の反ドイツ精神の高まり」だと主張するドイツによる、ユダヤ人虐待へのきっかけを、与えてしまったことになり、上記のような暴動(上記事件を口実にした、NSDAPによる「官製暴動」の疑惑も指摘)が起きてしまいます。
Kristallnacht(水晶の夜)などとも呼ばれる、この事件名の由来は、破壊された窓ガラスの破片が、月夜に照らされて、きらきら光り、水晶のように見えたことから、名付けられているとされていますが、実際の現場は、死者(100名程度)も出たほどで、悲惨極まりのない状態だったそうです。おそらく、その悲惨な様子を、緩和して伝えるために、作られた言葉ではないでしょうか。今は先に記した、Novemberpogromeという実際を表す言葉のほうが、よく利用されています。
この暴動の処理として、当時、ドイツ政権を握っていたNationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei(NSDAP/国家社会主義ドイツ労働者党)は、暴動の被害者であったはずの、30000人ともいわれるユダヤ人を逮捕し、強制収容所送りにします。
この暴動、先ほども少し記したように、「官製暴動」の指摘もなされています。実際、暴動に加わったのは、大多数がNSDAPのSturmabteilung(SA/突撃隊)や、Schutzstaffel(SS/親衛隊)であったということからです。市民はただこれを、傍観者として眺めていたとされています。
この後、NSDAPがユダヤ人に対して行った残忍な行動は、恐らく多くの人が知っている結果でしょう。
この夜、起こったことは、確かに悲惨ではありました。しかし、その後、NSDAPが行ったことに比べれば、小さな小さな出来事かもしれません。ただ、私は、この事件に、NSDAPがやがて引き起こす未来が、暗示されていたように思われてならないのです。
NSDAPにいわれのない危害を加えられ、逮捕され、強制収容所に送られるユダヤ人。そして、それを見ているだけの市民。NSDAPがその後、ユダヤ人に対して行ったことは、Novemberpogrome 1938に見られた構図が、その後どんどん大きくなっていっただけであり、本質は、この夜に見られているものと、何ら変わりはないと思うのは、私だけではないでしょう。実際、NSDAPによるホロコーストの転換点として、この夜の事件は、歴史に記憶されています。
ベルリンの壁が崩壊した、めでたい日である今日は、そのベルリンの壁を誕生させる、きっかけとなった、NSDAPによる、ユダヤ人虐待が、本格的に始まった日でもあり、さらに付け加えるなら、1923年にHitlerputsch(ヒトラー一揆)が起こった日でもあります。
この3つの出来事が、必然か偶然か、この日に重なって起こったことを思い起こしながら、過ごした1日でした。
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▲Hannover▲
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